ノーペイン・ノーゲイン ━ 苦痛なくして価値あるものは得られない
今日のタイトルは、「憂鬱でなければ、仕事じゃない」(見城徹・藤田晋共著/講談社)の中から拝借させてもらった。ずっと積ん読になっていた本で、最近ようやく読み終えた。
本の厚みに反して、分量自体は少なく、あまり堅苦しくは書かれていないので、たぶん1時間ちょっとで最後まで目を通せる。見城さんも藤田さんも、僕がリスペクトする経営者だけど、特に見城さんが昔から大好きで。この本読んでさらにリスペクトが高まったね。
とはいえ分量は確かに少ないのだけれど、一つ一つの言葉は重い。特に見城社長の言葉は、すごく響く。なんというか、心を直接鷲掴みにしてくるような、そーいうインパクトがある。そーいえば、見城社長に元幻冬舎社員がインタビューしたっていうCakesのこの記事にも、似たようなことが書いてあったな。
それもこれも、ひとつひとつの言葉が、見城社長の今までの体験全て、つまり確かな「実存」から生まれたものだからなのだと思う。今日は、その中でも特に、今の僕にガツンと響いたものを1つ、紹介したいと思う。
ノーペイン・ノーゲイン
この本は、見城社長の言葉が1つあって、それに対して見城社長と藤田社長がそれぞれ2ページずつ、実体験を伴ったエピソードと訓示的なものを書き記す形式になっている。児玉光雄さんが書いたイチローの名言集に似てるかも。
これは、その中で見城社長が書いていた言葉の1つ。直訳すれば「苦痛なくしては、何も手に入らない」という感じかな。見城社長は、この言葉に対して、こんなことを書いていた。
美しい編集者であり続けることは、自分が圧倒的努力で取り組んだ無名のものとの結果が出た時点で、それを弊履のごとく打ち捨てて、新しい無名に立ち向かう姿勢を持続することだ。自己否定は、苦痛を伴う。しかし、自分の力で獲得した結果であっても、そのことに寄りかかって生きることは、自分を堕落させる。それをゼロに戻してこそ、その次のいきいきとした生の実感が味わえる。
「憂鬱でなければ、仕事じゃない」P.206より
見城社長は角川書店の敏腕編集者として出版界で有名になり、後に幻冬舎を立ち上げた人なので、「編集者のあり方」を例に書いてあるが、これはどんな仕事に置き換えても、まんま当てはまることだと思う。
今の僕は、まだ「成功」なんて領域には程遠いけれど、今年に入って新しいことを始め、ギリギリでもなんとか日々を生きている。そんなとき、どうしても過去の成果に寄りかかろうと考えてしまう瞬間が、ままある。
なんとなく食べていければ、それでいいのか?
僕は、3年前の8月に会社を辞めた。その後、今年の春まではフリーランスで心理カウンセラーをやっていた。そんな大した稼ぎでもなかったけれど、一応ちゃんと食べていけていた。
ただ去年くらいから、どこか違和感を感じるようになっていた。具体的には「心理カウンセラーをやっている自分」というものに対して。
でも、「一応それで食べていけてるんだし、今から新しいことをやるのもなぁ…」なんてなんともヘタレなことを考えながら、いつしかただなんとなく、惰性で仕事をするようになっていた。
元々は、カウンセラーを始めることに決めたちゃんとしたきっかけや動機もあったし、それに付随する想いや信念みたいなものもあった。それがいつしか、自分を取り巻く環境が変化し、次第に薄れていっていた。
環境なんて時が経てば変わるものだから、それ自体は仕方ないことだと思う。ただ宜しくないのは、土台となる環境が変わったのに、そこにしがみつこうとした僕の姿勢なのだと思う。
またゼロから新しいことを始めれば、食べていける保証なんてどこにもない。僕は貯金も全然しないタイプ(別に浪費してるわけじゃないけど)だから、下手すると今の家の家賃すらすぐに払えなくなってしまうかもしれない。
だったら、惰性でもカウンセラーの仕事をやっていた方がいいんじゃないか。そんなヘタレなことを考えてしまっていた。今思うと恥ずかしいけど。
この世界は、そんなに甘くない
でも世界は、そんな甘い人間には容赦なく現実を突き付けてくる。それまで一応でも食べていけるくらいは稼げていたカウンセラー業も、どんどん稼げなくなってきた。
そりゃそうだ。そこに対する情熱が、信念が、明らかに希薄になっているのだから。よくよく考えれば、人の心を扱う難しい仕事をする人間が、そんな中途半端な気持ちで、惰性的に仕事をしていたら、なによりクライアントが迷惑だ。
僕はそうなって初めて、自分がいかに甘ったれていたか、過去の結果に寄りかかっていたかを思い知った。そしてようやく、ゼロから新しい道を歩むことを決めた。
そして今の僕は、実績も何もなく、全くの未経験で、ほんと駆け出しもいいところだけど……いわゆるセールスコピーを書くコピーライティングを始めとした、ライターの仕事。そしてプロジェクトのディレクションの仕事もしたりしている。
それもこれも、親しい知人が僕が過去に書いたブログや、今までに培われてきたコミュニケーション能力を買ってくれて、仕事を依頼してくれるおかげだ。ただ、さっきも言ったように駆け出しもいいところなので報酬は低いし、力不足でまだ数もほとんどこなせない。
見城社長に頭をハンマーでぶっ叩かれたような…
だからぶっちゃけ、毎月の生活はギリギリだ(苦笑)それでも、自分で決めて始めたことだから、頑張って成功しようと日々もがいている。ただふとした時に、少し前の安全地帯にいたときのことを考えてしまう自分がいる。
今の仕事は、正直しんどい。全てが経験不足でわからないことだらけだし、失敗ばかり。肉体的にはそうでもないけれど、精神的にはかなり辛い。これなら、前の方がよほど楽だった。
そんなことを一瞬でも考えてしまう僕は、見城社長の言葉を借りれば、「自分の力で獲得した結果に寄りかかって、堕落している」のだろう。そんな折に触れたのが、この「ノーペイン・ノーゲイン」だ。
この言葉は、一発で僕の目を覚まさせてくれるインパクトがあった。無意識に甘い方へ、楽な方へ流されようとしてた自分を、気付かせてくれた。
元来僕は怠け者な人間だから。少し気を抜くと、すぐに楽な方に流されてしまう。だからこそ人一倍、強い意思を持って自分を律することが必要なのだけど…なかなかそうはうまくいかない。
でもこれからは、この本を読めば、あくまで本を通じてだけど、見城社長から叱咤してもらえる。この(本との)出会いは、とても有り難いことだと思う。
生涯現役。死ぬまで現場で。
苦しみ抜いて得られたものにだけ、価値はあるのだ。
「憂鬱でなければ、仕事じゃない」P.207より
見城社長のこの言葉を紙に印刷して、壁に貼った。毎日この言葉と向き合って、これからは見城社長のように、自分をあえて茨の道へと向かわせていきたい。
そして大きな苦痛と、圧倒的な努力でもって、自分が求める成功を掴みたい。さらには、そこで掴んだ成功には一切寄りかかることなく、すぐに捨てて、またゼロから新しいことに挑戦できる自分でありたいと心から思う。
死んだように生きる。そんな生きる屍のような人生だけは送りたくない。たとえ身体はよぼよぼのおじいちゃんになっても、心はいつも燃えていたい。
見城社長のように、還暦をすぎてますますアグレッシブに、自分を茨の道へと誘っていく。常に現場主義で、誰よりもアクティブに行動する。そんな生き方でありたい。
そして死ぬときは、重い難病を抱えながら、最後はタイプライターの前で亡くなった、歴史的名著「救済の星」を書いたローゼンツヴァイクのように、自分の戦場の中で散っていきたいなぁ。
- 作者: フランツ・ローゼンツヴァイク,村岡晋一,細見和之,小須田健
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2009/04/18
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