「テレホンカードを知らない19歳」から学ぶ子育てのヒント

今どきの19歳は「テレカ」を、もはや知らないらしい。衝撃だ。これがジェネレーションギャップなのか…?。

 

 

どうやらこの青年は「テレカ」を「トレカ」の仲間だと思っていたらしい。たしかに響きは似てるわw

 

でもどうやら、この青年の6つ下の弟は「テレカ」の存在を一応知っていたようなので、今回はたまたまこの青年が無知だったって話でオチがついたようだ。

 

僕が中学生くらいの頃は、好きなアーティストのテレカを山ほど集めた(当時はSPEEDの大ファンだったから、100枚以上集めてたと思う)もんだけど、今どきはそんなことしないんだろうなぁ。

 

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小学生からケータイが当たり前の世界

 

ただ、この青年の生まれ育った環境を踏まえると、テレカを知らないのも仕方ないのかもと思える。自分とはあまりに無縁のものだと、まぁ知らなくても無理はない。

 

 

そりゃ小学生の頃からケータイが当たり前だったら、公衆電話なんて気にもかけないだろう。そして、公衆電話でしか使い道のないテレカに触れる機会がないのも当然かもしれない。

 

今でも一応、たまに「テレホンカードプレゼント」的なキャンペーンを目にすることはあるが、昔に比べれば数は激減してるのも事実。これから、この青年のような若者はどんどん増えていくのだろう。

 

30過ぎのおっさんからすれば寂しい気もするが、これが時代の流れだから仕方ない。ただ、災害時は未だに公衆電話は役に立つツールだから、偶然にも「テレカと公衆電話の使い方」を知ることができて良かったんじゃなかろうか。

 

またリプライを見てると、思いの外、たくさんの人がテレカや公衆電話について丁寧に説明してあげてて興味深い。ネットだと、こーいうときあからさまに小馬鹿にする奴が多いようなイメージがあったんだけど。

 

 

しかも、僕が全く知らなかった情報もあったりして、目からうろこだった。NTTの話は全然知らなかった。まだまだ世界には自分の知らないことがごまんとある。期せずして、そのことを再確認できたのはありがたい。

 

時代が変われば「当たり前」も変わる

 

今回は「テレカを知らない」という青年の話だったが、これからもどんどん似たような話は出てくるだろう。それが時代の流れというものだから、まぁ仕方のないことだ。

 

時代が変われば「常識」も変わり「当たり前」も変わる。それは自然の摂理であり、抗えない法則でもある。

 

ただ、だからと言って「昔を知らなくていい」というわけでもない。人が「歴史」から学ぶことは多いのだから。「温故知新」は、学びの基本だ。

 

 

そしてここで少し話は変わって、この青年のエピソードを通じて、一つ思ったことがある。

 

子どもをどんな環境で育てるのか

 

言うまでもないことかもしれないが、子どもは「育った環境」から絶大な影響を受けて育つ。そして、その環境に応じた学びを得る。

 

となると、「どんな環境で育てるか」によって、子どもの知識や知性の質は全く変わってくるということ。そして、それをちゃんと考えた上で、子どもの環境を整備するのは、親の務めだと思う。

 

子育て本に載ってるような画一的な環境整備だけでは不十分だ。子どもの感性は人それぞれ。当然、「相応しい環境」も人それぞれだ。

 

だからたとえ兄弟であっても、個々に「相応しい環境」をきちんと考えて、整備してやる。それは、親としての責務ではないか。

 

「捨てたもの」の陰にあったものをちゃんと識ること

 

今回の青年のように、小学生からケータイが当たり前の環境で育てる。それ自体は別に悪いわけではない。

 

ただ、そーいう環境を選ぶことで「起こり得る弊害はないか?」を、常に考えておく必要はあると思う。何かを「選ぶ」ということは、同時に何かを「選ばない」ということでもあるわけだから。

 

たとえば「ケータイ」という環境を選択したとしたら、いざという時のためには知っておいた方が良い「公衆電話」を、知らずに育つ可能性はないか。そーいうことを常に考えながら、子どもの成育環境はつくっていかないといけない。

 

子どもの未来の可能性は、親の手の中にある

 

そう考えると、子どもなんて親のさじ加減一つで、どんな人間にでもなり得るわけで、親の責任は重大だなとあらためて感じる。まだ僕らに子どもはいないけれど。

 

自分たちの意のままに育てよう、というか洗脳しようとする親も世の中には少なくなくて、しかもその大半は「無自覚に」それをやっている。表向きは「子どものため」という免罪符を掲げながら。

 

そんな風にならないように、僕も子どものいない今からしっかりと考えておきたいと思う。将来、いずれ生まれてくる我が子の可能性を間違っても潰さない、可能性を最大化できるような環境づくりのことを。